悲しかったこと

 

久しぶりに大事な人に会った。

わたしが東京に出て、むき出しの感情に呑まれまいともがいていた頃、ずっとそばにいた人。

何度も喧嘩して、何度も泣いて、何度も「愛してるよ」と言い合って、しぬほど笑った。本当に一緒に生きた人だった。

前にあった日を覚えていないほど疎遠になっていたらしい。でも顔を見れば昨日も一緒に居たみたいにお喋りが止まらなかった。

わたしは、寂しい気持ちで居た。あなたが東京を出ていくほかに理由はあった。

わたしもあなたと同じように変わっていれば、何でもない友達との良い時間だったかもしれない。

風邪気味のわたしに、ありったけの物資を届けてくれた。言動の一つひとつにあなたらしいなと思って心があったかくなるばかりだった。

 

でも。

 

わたしは気付いている。

もしかしたらとっくの昔にそうなってしまっていたのに、気付かないふりをしていたのかもしれない。

東京の最後にわたしと居ることを選んでくれたんだと思ってた。最初は7日間。それが5日間になり、4日間になり、3日間になり、最後には2日になった。

今日来るから、と思って食べさせたくて炊いた米や解凍していた海鮮や、シーツや布団を全部洗濯してお日様に当てていたこと、あなたは何も知らない。

1週間あるから話したいことがたくさんあった。本当はやりたいこともたくさんあった。あなたは何も知らない。

あなたはわたしの家にいる間、LINEの通知が鳴り止まなかった。不思議だった。今もわたしのLINEは既読もついていない。そういうことだと思う。

 

わたしとあなたが1年会わなかったのは、それでいいとお互いどこかで思っていたからだった。

 

あの子とお酒を飲んでいたのを言わなかったのも、一緒に鍋食べようねって言ってたからだよね。

ホテルを二日間取ってある建前も、きっと他に優先させたい予定があってそれを言うとわたしと気まずいからなんだなと思ってるよ。

あいしてるよ〜さえなかったから、たぶん取り戻せない時間は過ぎたんだろうね。

ごめんね、分かりたくないことも分かってしまうくらいよく知ってるんだよね。あなたはわたしの半分だったからさ。

あんまり言葉にはしたくなかったけど、さっきお風呂に入ったら詰め替えたシャンプーがまだ前の色のままで、「シャンプー透明だった?」「うん、これめっちゃ良いね」ってやりとり思い出しちゃってさ。

上野行きのはずなのに井の頭線に行ったときに全部飲み込んだつもりだった気持ちが溢れてしまったよ。

透明じゃないのになんで嘘ついたんやろなあ。自分の使ったんだろうけどさ。

何もしてやれなくてごめんね。餞別も渡せないばかりか、貰ってばかりだった。ありがとうね。

そろそろパック外します。

 

どうか身体に気を付けて、また帰ってくるならその時も仲良くしようね。

 

今までありがとう。しおがいた東京はこの上なく楽しかったよ。

 

 

 

ずっと迷子のまま魂が空を彷徨っている、

重苦しい冬が春になって、息をするのも一苦労な夏が終わり、また足取りの重い冬が明ける。

 

愛の行方も、空に描いた未来も、

まとめて何処かへ飛んで行ったまま帰らない。

 

何を望んでいるのか。簡単なことなのに、望んで良いものかどうかなんて詰まらない問答を他人に判断される世界で、どうやって息を続ければいい。

 

私がこんな孤独のなかで喘いでいる間に、

誰も彼もが私を忘れて進んで行く。

 

さよなら、さようなら、さえも届かない。

 

 

22TAPE

 

君が22歳になるまで聴けるようにと贈られたプレイリストの賞味期限超過が、もうじき2年になる。

美しい言葉が好きだった。言葉はわたしの生きる糧であり、生きた証だった。この脳内から液晶に紡がれる機械的な字列に、どれだけの愛と色と神秘を忍ばせるか、そういうのが好きだった。たまに食べるクロワッサンみたいに、とてつもなく美味しくて、甘くて、好きだった。

あの頃。

現実に生きれば生きるほど、反動みたいに全て冴え渡って、わたしの世界の色が濃かった。

現実なんて、手に負えないと匙を投げた途端に、反対側の世界が崩壊した。

 

必要悪ってこういうことなんだって、今今おもう。

 

どうにかして、あのときの、あの、愛しくてたまらない感情たちを取り戻そうとして、こうやって文字を打ち込んでいるけれど、こんなものはすでに自分の世界に生き残れなかった没落者であるのを認めるみたいな、愚かな行動でしかなくて。

わたしを帰してほしい。

でなきゃわたしを、返してほしい。

 

あまいよるに、ぬるい風に抱かれて吸うハイライトメンソールと、しょっぱい朝に中指を立てながら飲むインスタントコーヒーと、世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたっていつも、「さようなら」って言ってるみたいだわ。

 

 

穏やかな夜を。

 

 

愛を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

Scarlet Sky

 

希死念慮

 

Scarlet Sky/伊集加代

 

死だ。一年ぶりにここに言葉を残そうと思って、書くべきことを思案してすぐ浮かんだ。

死だ。

 

二年もの間、私にとって十分に長すぎる時間を、まるで健常者の真似事をして過ごしてきた。

 

朝決まった時間に起き、決まった番組を見ながら化粧をし、決まった時間の電車に乗る。うちに帰って束の間の自分の国を愛し、また眠る。

 

糸がプツっと切れた。

 

東京を去って、首の皮一枚の状態で9ヶ月が経った。

 

誰も私を見ていない。

私の国は滅び、明日を望むこともない。

死んでしまいたい。

 

私は、精神弱者だけど、ODはしても自傷行為はしたことがなかった。

どんなに辛くても、愛する両親に「死にたい」などとこぼしたことはなかった。

最後の砦だと思っていたのだ。

 

何不自由なく、間違いなく、これ以上ない愛情を注がれて育てられた。

何度失敗しても、いつも私の味方で、幸せへの手引きをしてくれた。

さんざん世話をかけた。

 

だから、最低限の矜持として、生きる姿勢だけは貫いてきた。

 

ママに、死にたいと言って泣きついた。

 

生まれてこの方、そんなことを一度たりとも溢したことのなかった娘が、死にたい死にたい、もう本当に何もできないと泣き喚いたそれは、ママにとってきっと何よりもショックを受けたと思う。

 

パパから大量の生きるための食べ物と、生活するための物資が届いた。

暗に、生きろと言っているみたいだった。

 

それももう一ヶ月ほど前の話。

 

昨日、また、ひどく落ち込んでしまった。

誰も私に興味がない、誰も私を要らない。

私が求める人は皆、私を疎ましく思っている。

 

世界が文字通り絶望で溢れた時、人はどうしようもない現状を嘆くかもしくは死を選ぶほかない。

 

恋人から音沙汰がなかった。

まるで私の存在を意図的に無視しているようだった。

 

「おやすみ」と言ったそれが、届かなかった。

 

糸が切れた。

 

私はいない方が良いと、結論を出された気分だった。

 

ベッドから動けず、ODするための薬もないのであちこちのホットラインを探した。

 

泣きながら探した。

 

死にたいと言いながら、心の奥底では誰か助けてと思っていた。

 

深夜でも繋がるチャットホットラインで話を聞いてもらった。意味なかった。分かってた。何もない、話せることなどない、誰も私の気持ちを理解できない。

 

チャットの返事を待ちくたびれて、泣き疲れて、朝5時に眠った。

 

悪夢を見た、悪夢についてはまた後で書く、多分。

 

全てのSNSを消したことにようやっと気づいた恋人が16時に送ってきた「何してんの?」というメッセージで起きた。

 

依然として死にたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イデア

 

ご機嫌麗しゅう。

 

ゴールデンウィーク真っ只中、最終日に予定していた鉄コン筋クリートリバイバルが中止になり、正真正銘の引きこもりとなった私。ついぞこの場所を思い出すに至った。

 

とは言っても別に書きたいことがある訳でも、書くべきものがある訳でもない。

 

凡ゆるものを削ぎ落とした昨年末から顕著に変わったことといえば、半年間の無遅刻無欠席と体調回復による通院の一時停止。あとは、毎日山のように課題があるって感じ。

「激動」が私の人生テーマみたいなところがあったけど、そのタームはいよいよ終わった。次のステージがあるとすればすごくワクワクするし面白そうなんて思っている。考えられないだろ、少し前の私からしたら。はっははー。

いろいろ研ぎ澄ませていきたいんだよね。あ、今度、憧れの人の舞台を観に行った日のことを書こう。相変わらず綺麗だったけれど、柔らかくなっていた。

 

急にその気になって作った海老のフリットとソーセージのソテー、買ってきて水で流しただけの枝豆とバドワイザーで、貴方と私の夜でした。